重森三玲美術館

luis01172007-03-08


重森三玲美術館
京都市左京区吉田上大路町

Hatena:Fotolife=http://f.hatena.ne.jp/luis0117/




先週に引き続き、またしても重森三玲です。もう飽きた!って人、これで最後なので、も少しだけお付き合いくだされ(笑)


こないだ、重森三玲の作庭した庭について書いたんですが、早速、重森三玲美術館というか、重森邸なんですが、行ってきました!


2、3年前にシャープのAQUOSのCMに、ここの庭が使われたとのことで(←まったく記憶にないんですが…)、それを機に、クリエイターを中心に注目が集まっているらしいです。集まっているらしいのですが、まだまだマイナーな存在。完全予約制なのですが、お天気とにらめっこしながら前日に予約を入れたら、すんなり予約が取れてしまいました〜。


京都は吉田山の麓にありまして、京都大学のすぐ南なんですが、なんやしらん、迷いもって行きました。土地勘、ないんです。


予約していたのにもかかわらず、這々の体で到着したときは、すでに10分遅刻。
もともとが、吉田神社の社家である鈴鹿家のお住まいの場所だったので、吉田神社の表参道に近いところにあるとは思っていたんですが、そうじゃなくて、裏参道に面しているのでした。普通に住宅街だし、なかなかわかりづらいです。。


吉田神社というのは、都が奈良の平城京から長岡京を経て平安京に移ったとき、平安京鎮守神として、清和天皇が藤原家に命じて創建した神社です。
平安京の鎮守といっても、世は藤原家謳歌の時代ですから、藤原家繁栄のための鎮守とも言えるんですが、ま、そこまで言うと意地悪ってもんですかな。


で、藤原家の分家でもある近衛家をスポンサーとして、鈴鹿家が吉田神社を取り仕切り、裏参道に社家も建築してもらった、というのが、現・重森三玲旧宅/重森三玲美術館の建物です。
ですから、このあたり、近隣の家の表札を見ると、鈴鹿姓だらけです。


建物自体は、何度かの火災に遭っているのでしょうが、平安の時代からのものではなく、江戸時代の遺構。それでも、格式のある社家建築の趣を伝える遺構はとっても貴重です。


近衛家といえば、第2次大戦時の首相、近衛文麿が有名ですが、京都大学に通っていた際に、この家を下宿にしていたそうです。
下宿といっても、鈴鹿家にとっては大スポンサーである近衛家の御曹司を迎えるわけですから、一番いい部屋を用意し、箸の上げ下げまで奉仕したということですが。


そういう格式のある家も、ま、経済的な事情から売りに出されるわけです。そこを、重森三玲が買い求めたということですが、もちろん、そういう邸宅ですから、金銭の多寡で売り先が決まるものでもなく、買い求めた後になにをどう改築するのか、どのように使っていくのかなどの聞き取りを経て、売却先が重森三玲に決まったのだとか。


ところで、この邸宅が重森三玲の手に渡って以降、彼は、自らの設計で新たにふたつの茶室を建て、書院前庭、茶庭、坪庭をあらたに作庭しています。特に、書院前庭にはもともとの庭があったのですが、それを壊し、ランドマークとしての役割を果たしていた松の木すら抜いた、ということです。
おかげで、この場所は新旧融合の大変に珍しい邸宅となっているのですが、ついでにいえば調和もしているのですが、かなり大胆な改造を施したわけです。
裏を返せば、それを鈴鹿家が許したということでもあるのですが、そうした大胆な改造を許可させてしまった重森三玲のプレゼンテーション能力は、かなり高かったのだな思います。


造園業界というところは、伝統に重きを置きすぎるきらいのあるところでして、そのせいもあって、大胆な作庭をする彼に対する風当たりは、相当にキツかったと、言われています。
そのせいで、今でも彼の著作物や彼について書かれた本は、そのほとんどが絶版になっています。(最近、スイス人の研究家が、彼の作庭した庭を論評した本を上梓しましたが、英語です)
それでも、東福寺松尾大社大徳寺をはじめ、大小さまざまなお寺や個人邸宅に、なんだかんだ言って100以上の作庭をしているのだから、業界の外で、かなり認められていたということにもなります。


そのあたりのことを伺うと、池泉廻遊式庭園を造る作庭家はたくさんいたけれども、白砂川と青石の石組みを得意とする作庭家が重森三玲しかいなかったのが幸いし、彼のもとに注文が殺到したという側面もあったのだとか。


ということは、昭和の時代に、日本を代表する庭園表現である枯山水を作庭する作庭家がいない造園業界の伝統ってなんなのよ?って話ですが…。


なんだか、背景の話に終始していますが、なにはともあれ、見てきたのでした。


メインの書院の庭は、中央に蓬萊島、東西に方丈、瀛州、壷梁の三島を配した枯山水庭園で、枯山水でありながらも宗教性をほとんど感じさせない、趣味の庭といった趣です。
白砂川は大海、そこに浮かぶ4つの島というのは、日本庭園の基本中の基本ですが、なにを表現しているかというと、ぶっちゃけた話、理想郷というか桃源郷というか、極楽を表現しています。


オレは熱心にあれやこれやと質問攻めにして当主と話し込んでいたのですが、相方さん、よくお眠りになられてましたわ(笑)
前日の夜更かしがたたったのでしょうが、陽光もよく、気持ちのいい景色をまえにして、夢見心地になったんでしょうな。そういう、夢見を誘う庭ですね。無心になったりなにかと対峙したり、というのは、じつは重森三玲の庭の特長でもあるとオレは思っているのですが、この、自室の庭は、どうやらそうではなくて、力強さを感じさせながらも、どこかほっこりとさせるものがあります。


帰り道、吉田神社に立ち寄るために、吉田山を登りました。
橘が満面に花を咲かせていて、近づくと、濃厚な香り。

花びらをお茶に浮かべると、いい気分になれそうやな、などと思いながら、春を感じたのでした。
相方さんの細い目が、素麺みたいになってます(笑)
春眠の季節、です。

地蔵院

luis01172007-02-27


臨済宗 地蔵院

  • 京都市西京区山田北の町23
  • [tel]075-381-3417
  • [拝観時間] 9:00-17:00
  • [拝観料] 500円

Hatena:Fotolife=http://f.hatena.ne.jp/luis0117/




今月、なんだかんだで7、8ヶ所くらいの神社仏閣をまわってまして、いかに仕事をしていないかっちゅー話なんですが、暖かい日が続いているので、またしても時間を見つけて行ってきました。相方さんは忙しいらしいので、久々の単独です。

午前中のみ時間がとれそうだったので早朝から出かけて…、と、前日の夜につらつらと考えていたんですが、めぼしいところは行ってるし、3、4時間で大阪に戻ってこないとダメだからあんまり遠くへも行けないし、と思案した挙げ句に見つけたのが、松尾さんの近くにある地蔵院。ガイドブックには載っていない、ちっこいお寺さんですわ。

阪急電車嵐山線松尾駅を降りて、お酒の神さん・松尾大社から人気の鈴虫寺へ向かって歩くんですが、直前で道を分ちます。
でも、鈴虫寺へ向かう婦女子さんたちと大部分は一緒に歩きますから、なーんかね、それがイヤで(笑)
鈴虫寺はいっつも行列が出来てるからまだ行ったことないんです。行ったことないので、詳しいことも知らないんですが、なんでも、ここのお守りが縁結びに絶大な威力を発揮するとかで、全国から婦女子さんが列をなして訪れてくるんですわ。そこへ、オレ、男子ひとり! もてないクンみたいになってます(笑)
いや、だから、オレは縁も結ばれてるし、鈴虫寺へ行くわけではないからね!と、周囲からの視線に心で返答しながら、歩いてました(笑)

んで、そんな這々の体で辿り着いたのが地蔵院。臨済宗の禅寺です。
山門まえにある縁起を読んでますと、一休さんがこの近くで生まれ、幼少時代をこのお寺で過ごされたんだとか。アニメに沿って説明すると、母上さまとわかれる直前まで過ごしたのが、このお寺ってことです。
今年は2月の頭に一休寺に行ったし、なにかと一休さんに縁があります。

夢窓国師が開山とのことですが、お庭は国師作庭ではなく、国師がつくられたのは、ご本尊の地蔵菩薩。でも、秘仏でご開帳ならず、でしたわ。
室町管領細川頼之の創建といいますから、それじゃ伽藍はたくさんあるんかいな、と思って縁起を読み進めていたら、末寺26寺、領地24ヶ所の一大禅刹にまでなってるやないですか。それでガイドブックに載ってないのはどういうことや!ってことですが、応仁の乱でことごとく焼けて、今、本堂と方丈のほかに、2、3の建造物がある程度の、ひっそりとしたお寺さんですわ。

ただ、境内は、山門をくぐってから本堂までがずーっと竹林になってましてな、か・な・り、気持ちいいです☆
山門をくぐるとすぐに、竹の青い香りが漂ってきます。あのフレッシュな香りに包まれると、身体が洗われるような気分になります。この日は暖かかったので、なおさら!

京都の竹林といえば、嵐山と大原野が有名ですが、嵐山は車も通るし人が切れないし、ちーっとも静かじゃないです。大原野は静かだけれども、あそこは遠すぎ! だから、このお寺さんで竹林を堪能出来るということを発見したのは、かなりの収穫です。

本堂にはご本尊の地蔵菩薩さんと細川頼之像が安置されているとのことですが、どちらも秘仏でご開帳なし。いつご開帳なのかもわからないんですが、おかげで、このお寺さんで拝見出来る仏像って、ないんですよね。そりゃ、ガイドブックにも載りませんよ。

ただ、お庭はいいです。
こじんまりとしていて、全面を苔が覆っていて、ツツジ侘助が存在感を示しています。枯山水ですが、白砂はどこにもなく、植物と石だけで構成されたお庭です。
羅漢さんが修行している様を表現しているので、羅漢の庭。
お庭の隅に十六羅漢を模した石が配されているんですが、地蔵院の羅漢は男山の八幡宮に願をかけているので、置かれている石も、その方向に少しずつ傾けさせているのだとか。

誰もいなかったので、ベスト・ポジションで、庭を独り占めしてました。
小1時間ほど、横になって昼寝しましたかね。
寒くも暑くもなくて、陽気がよくて、景色のいい庭で、それもいろいろと解釈を必要としないわかりやすい庭で、禅寺というよりも、趣味人の隠れ家に遊びにきたような、そんなかんじです。

午後からは大阪に戻って、深夜まで仕事に忙殺。
束の間の、ノンビリした時間を過ごしたのでした。

見どころはと問われればなにがあるわけでもないんですが、人も少ないし、気持ちの竹林とお庭があって、ノンビリ出来ます。
こういうお寺さんが、またひとつ手持ちのカードに加わりました。
今度は、秋にでも相方さんを連れて。



[主な伽藍]

  • 本堂
  • 方丈

[主な仏像]

[名勝]

  • 方丈庭園 羅漢の庭(枯山水式)

下鴨神社

luis01172007-02-21


賀茂御祖神社



オレ、尾形光琳という日本画家が大好きでしてね。
日本画家のなかでは、たぶん、一番好きかもしれません。
繊細さとダイナミックさが同居していて、なんというか、スケールが大きくて、王さまの芸術とでも呼びたくなるような趣です。


なかでも傑作の誉れ高い『紅白梅図屏風』は、死ぬまでに一度は見たいなあと願ってる作品でして。熱海のMOA美術館にあるんですが、熱海に用事はないし。。
あ、これが『紅白梅図屏風』です。

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic12.html


ま、それはさておき、今週はなかなか暖かいじゃないですか。
なので、相方さんをつれて梅でも見にいきたいなあと思っていて、梅情報をつらつらと調べていたんですが、な、な、なんと尾形光琳が『紅白梅図屏風』を描く際に参考にしたという梅が、下鴨神社にあるというではないですか!
そんなん全然知らんかったんですが、今年のJR東海の「そうだ 京都、行こう」のキャンペーンで紹介されて、一気に人気者になっとるらしいですやん。


下鴨神社は何度も行ってるけれども、そんなん、全然知りませんでした。
ちょうど、あのあたりは椿がたくさんありますから、そっちも見頃やろうし、ほんなら行きまひょ!ということで、行ってきましたですよ、仕事サボって(笑)


下鴨神社の公式サイトはこちら。いつのまにか、flashになってました。カネ持ってるのね(笑)

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/


それにしても、梅日和というか、いい天気でした☆
花を見るのには、こういう日が一番ですな。しかも、一応は冬の平日だから、人も少ない! いうことないです。


下鴨神社は京都で一番古い神社。上賀茂神社の親でもありますが、みたらし団子の生みの親でもあります。御手洗川も御手洗社もありますからね。
すぐ横には京都のジャングルというか、人の手の入っていない数少ない森、糺の森がありまして、さらにその向かいには京都家裁があります。「糺す」と命名された森の横に裁判所があるというのは、偶然なのかどうか知りませんが、なかなか意味深ですな。もっとも、本当のところは、賀茂川と高野川の合流点にあるので、只洲→糺す、となったとする説が有力ですが。


この森を縫うように下鴨神社の参道が続いており、今日みたいな天気のいい日には、原生林の森から木漏れ日が射し込んで、とーっても気持ちがいいです。この森は、夏に来ると虫が多くて閉口しますが、それ以外の季節だと、いつ来てもいい気持ちになれるから、大好きです。


さて、目指すは、本殿横にある「光琳の梅」です。幸いなことに、人影もまばら。
それにしてもあんなところに梅なんかあったっけなあ、などと思いながら歩いていくと、もうね、一瞬で目に入りました。


いやいや、艶やか! お見事です! って梅。
御手洗川に架かる輪橋(そりはし)のたもとにね、1本だけなんですけど、それはそれは見事な梅が。。
ちょっとね、これ、溜めいきが出ますよ。
一応、写真を撮る目的で来たんですが、ほえーっと、見とれてしまいました。
1本しかないからなおさらだけど、すんごい、フォトジェニックな梅です。
また天気がよくって抜けるような青空だから、そのコントラストが鮮やかで。


光琳が『紅白梅図屏風』の梅はかなりリアリスティックに描いてありますが、この梅をそのまんま模写するように描いたわけではないですね。
眺めていて、そう思いました。
そうではなくて、この梅が持っている本質、それは王さまの梅とでも呼びたくなるような桁外れの艶やかさと華やかさなんですが、それこそを、光琳は屏風に写しとったのだな、と、この梅を見て思いましたよ。
光琳の作品は、どれも、規格外です。繊細さと大胆さが同居するというウルトラC級を内包するのが光琳の作品の特長だとオレは思っているのですが、そういう光琳だからこそ、この梅が心に響いたのだな、と、そんなふうに思いましたな。


これで『紅白梅図屏風』の実物と対面する日が、ますます楽しみになってきました☆
誰か、熱海に行くような仕事をくれませんかね?(笑)
もしくは、屏風を熱海から関西に持ってきてくれるとか(爆)




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光琳デザイン

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[主な建造物]

[名所]

[主な草花]

  • 春 梅、椿
  • 夏 桜
  • 秋 紅葉

正伝寺

luis01172007-02-19


臨済宗南禅寺派 吉祥山 正伝護国禅寺

  • 京都市北区西賀茂北鎮守庵町72
  • [tel] 075-491-3259
  • [拝観時間] 9:00-17:00
  • [拝観料] 300円(小学生200円)
  • [アクセス] 市バス9系統「神光院前」停下車徒歩15分



あれは、レンゲツツジだったのだろうか、広い山の背を覆って、赤味がかったオレンジ色の花が咲きみちていた。五辨に切れ目のある花がそのあたり一面にひろがって、山が燃えるという表現がぴったりだった。
修学院離宮のそばの音羽川をさかのぼって、その源流を目指していたときのことである。クズの群落を横に見て、杉木立を通り、ササ原のなかを歩き続けて、もうそろそろ源流に辿り着くころだろうか、そう思っていたときのことである。
尾根をまわると不意に眼のまえにひらけた風景に驚いた。それは紅く、透きとおるようなつつじの花だったけれども、自分のいのちの源に触れたという思いがしたことを覚えている。
比叡山から大文字山にかけての稜線はなだらかにカーブして、そこに辿り着けばすぐにも琵琶湖が見えるように思うが、実際は山の背が意外に広々としていて、ササ原が続き、ところどころにツツジの群落がひろがっていた。
東山の峰峰は、たしかになだらかな曲線を描いているけれども、その西側、つまり京都側の斜面はかなりの急傾斜を示している。斜面には、松、杉、樫、楠、椿をはじめ数多くの樹種がまじっていて、そこに白河をはじめ、いくつもの流れが谷を刻んでいる。
大都市の外まわりの、海抜200〜300メートルに満たない低い山々の連なりではあるが、むかしはイノシシもいたというくらいで、ところどころに深山の趣を残している。
市街地から眺めると古都を囲む緑にスクリーン、丈の低い屏風なのであるが、初夏のころになると、そこここにツツジが咲いて、紅いかたまりが点々と模様を連ね、屏風の彩りを発見することになる。
ここのところを西陣織の布地に置き換えてみると、ツツジの花々は、あるときは地となって咲きみち、あるときは柄となって緑の地を引き立てている。
さて今、銀閣寺の近くを歩いている。京都疎水と白河がある。ふたつの流れのうち、白河のほうは歴史的にも由緒のある川であり、今後もそうでなければならないはずなのだが、不幸にして、当局の河川管理の失敗によって川の三方をコンクリートで固められてしまい、川というべきか、溝というべきか、なんとも味わいのない流れになってしまっている。
一方の京都疎水のうち、銀閣寺から若王子のあいだは哲学の道と呼ばれて多くの観光客を集めるようになった。四季を問わず往来する人々は多いが、なんといっても桜の時季が素晴らしい。石畳の舗道が整えられ、桜、ドウダンツツジ、サツキ、レンゲツツジが植え込まれている。
そこに、近郊から拾い集めてきたとおぼしき花崗岩の地蔵さんも並べられている。また、この道のほぼ中間点に丸い自然石に刻まれた西田幾多郎の歌碑が建っている。丈が低いから、立っているというよりも置かれているといったほうがいいかも知れない。細く、強い筆跡がそのまま刻み込まれている。
人は人吾は吾なりとにかく吾行く道を吾は行くなり
着物を着て、思索に苦しみながら、この道を行き戻りした哲学者の面影を偲ばせるのであるが、西田幾多郎がここを散歩したかどうかは、確証がない。しかし、禅、あるいは東洋思想の核心に参入しようとした西田さんではなく、むしろその立場に反対して自らギリシャ哲学の立場を貫いた田中美知太郎が好んでこの道を散歩したことは、まちがいのないところだ。
疎水の水は、桜は、ツツジは、人間の思想的立場などに関係なく、昨日も今日も、そして明日も、老若男女の歩みを引きつけているように見える。流れる水、散る桜、そして深紅のツツジ
石碑、歌碑、句碑ということになると、東山のほとりにどのくらいあるだろうか。疎水のすぐ近く、銀閣寺の南に並んで法然院があり、その墓地には空、寂と刻んだ谷崎潤一郎夫妻の墓石があることでよく知られている。また境内に河上肇の墓もあり、丈高い石碑が建っている。万葉仮名を現代の仮名づかいに書き直すと、
辿り着き振り返り見れば山川を 越えては越えて来るものかな
と読める。マルクス経済学者というより、明治生まれの思想家のひと筋の生涯を思い起こして、感慨深いものである。
京都では、都市が、寺社が、町屋が、そしてさらには一軒一軒の民家までが、入れ子構造のようにして自然を抱きかかえている。
あるいは反対に、自然が大小の人工構築物を抱きかかえているのであろうか。




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遠州の美と心 綺麗さびの茶

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[主な伽藍]

  • 重文 方丈

[主な工芸品]

  • 重文 方丈襖絵 淡彩山水図(狩野山楽筆)

[名勝]

  • 方丈庭園 獅子の児渡し庭園(小堀遠州作)

[主な見どころ]

[主な草花]

大悲閣

luis01172007-02-17

大悲閣千光寺

  • 京都市西京区嵐山中尾下町62
  • [tel] 075-861-2913
  • [拝観時間] 9:00-17:00
  • [拝観料] 400円
  • [アクセス] 阪急電車「嵐山」駅下車徒歩20分



朝日文庫から出ている司馬遼太郎の人気シリーズ『街道をゆく』は、読むとたちまち司馬が歩いた道をなぞってみたくなるような、素晴らしい紀行文なのだった。この小説家は、紙に封じ込まれた味気ない歴史に血と肉を与え、泣きも笑いもする生身の現実を与えてくれる。そのような小説家が書く紀行文は、訪れた地の幾重にも重なった地層を単純に掘り起こすだけでなく、それこそ、そこが生身の人間の無名で無数の営みが積み重なった場所であることを、思い出させてくれる。
このシリーズの第26巻に、『嵯峨散歩』の一編が収められていて、渡月橋天龍寺などのメジャーなスポットにまじって、「大悲閣」なる名がそこにあるのだけれど、ありとあらゆる場所が踏破され蹂躙されたと思われる嵐山にあって、ここだけは、掃射を免れたようにひっそりとたたずんでいる。何度目かの嵐山なら、行くべきはここだ。


阪急電車の嵐山駅を降りて、嵐山公園を抜け、渡月橋をわたって目抜き道路を歩いて天龍寺を訪れ嵯峨野へ入っていくのがメジャーなコースなのだけれど、大悲閣は、このコースから外れている。渡月橋をわたらずに、川の西側に沿った道を歩く。15分から20分は歩く細い一本道なのだけれど、これがいい。左手は鳥ヶ岳の山林、右手は桂川である。桂川は道のすぐ横にまで水をたたえたり、ある場所では石の川原を抱えたりで、その起伏に富むさまは眺めているだけで楽しくなってくる。桂川の向こうには、大本山天龍寺を抱く亀山公園の山がせりだしている。そして、道に沿った並木の紅葉が、歩く人々の頭上から降り注ぐ陽の光を柔らかい木漏れ日に変えてくれる。なによりもいいのは、この道には、ほとんど人がいないということだ。
嵐山と言えば、全国でもトップクラスの観光都市である京都のなかでも最重要ポイント。はっきり言って、観光客の、それも有害指定したいオバサン集団のいない場所は、どこにもない。どこにもないと断言したくなるほどだが、幸いなことに、メジャーなコースから外れているおかげで、この道を、彼女たちが歩くことはまずない。おかげで、この道は、風が樹々の葉を擦る音と、川のせせらぎと、虫の音しか聴こえない。遠くで、トロッコ列車の走る音が聴こえるのは、かえって風情があるというものだ。
歩くなら、夏の前後がいい。青々とした若い紅葉の緑とその緑に濾された柔らかい陽の光が、どれだけの憂鬱を抱えていても、生きる希望の力のようなものを与えてくれる。それも、優しく。そう、優しい、滋味のある道なのだ。


途中、川原のあるところで道を降りて、一服するのもいい。川縁なので、涼しい風が吹いているから、ここで過ごすシエスタは、かなり気持ちいい。


道を進むと、途中、露天の茶店のような構えに出会う。老齢の女性がいて、缶ビールやジュースをクーラーに入れて売っている。司馬遼太郎もこの老婆に出会っていて、その記述が傑作なのである。江戸時代からそこで暮らしているような山姥、と、司馬にしてはエグい記述をしているが、まさにそのとおり。どうして一日に何人も通らないこんな場所で商売をしているのか知らないが、営業権など持っていないに違いないこの店のまえを通る人を捕まえては、ビールやジュースを売りつける。そのやりかたは、巧妙である。その気のない人に、まず、時間を尋ねる。そうやって道往く人の足を止め、世間話に持ち込み、ベンチに座らせる。旅のなかで地元の人に声をかけられて嬉しくない人はまずいないから、大抵の人は、言われるままに腰を降ろす。そして、飲みものを勧められる。その口調は、好意で飲みものを勧めてくれているような口ぶりなのだが、ところがどっこい、最後にはきっちりと代金を請求されるのだ。それも、高い。通常の5割増である。相手は老婆だし、飲んでしまった負い目も手伝ってか、不満はあるだろうが、文句を言う人はいない。ちなみに話の中身は、天気の話や世間話にはじまって、たいていは、老婆の身の上話になる。大阪の出身で東京に嫁いで苦労してどうとかこうとか。まあ、これをうっとおしいと思うか旅のちょっとしたアクセントとして笑って受け入れるかは人それぞれだろうが、二度はゴメンである。


気を取り直して道を進むと、料理旅館の嵐峡館が見えてくる。渡月橋あたりの賑わいから歩いてわずか15分か20分とは思えない、秘境の隠れ家のような旅館である。まだ泊まったことはないが、川のせせらぎを眼下にしたがえた、贅沢このうえない旅館だ。川は、その名を、いつの間にか保津川に変えている。この川は不思議な川で、渡月橋よりも下流桂川渡月橋近辺を大堰川、その上流を保津川と名を変える。ちなみに、大堰川という名は、源氏物語にも平家物語にも、その記述がある。平家物語では、このあたりの小高い丘は千鳥ヶ淵と呼ばれ、平重盛の家臣であった斉藤時頼(滝口入道)との恋に破れ、この地に身投げした横笛の話がある。
嵐峡館に辿り着いたら、左手に、山に分け入るさらに細い小道がある。これが、大悲閣千光寺への参道だ。参道入口には芭蕉がこの地を訪れた際に読んだ句「花の山二町のぼれば大悲閣」が立て札に紹介されているが、これについて、司馬遼太郎は、なにやら挨拶じみた句で芭蕉の作品とするには気の毒のような出来である、と書いている。それはさておき、芭蕉のころと違い、今では、花の山といった華やかさはない。代わりに、静寂の山と言いたくなる趣があるばかりである。歩いて10分ほどの参道だが、勾配が急なために汗だくになる。しかし、山門をくぐって、本堂に辿り着くと、汗だくになって登ってくるだけの価値があることがわかる。
そもそも、ここの本堂は変わっている。本堂らしさがまったくなく、威厳もない。ざっくばらんな空間になっていて、写経道具、辞書、ガイドブック、パンフレット、眺望説明図や重軽織り交ぜた蔵書などが置かれている。まるで、どこかの山荘の広間にでも来たような雰囲気なのだ。そう遠くないむかし、ここで算盤教室が開かれていたそうだが、思わず頷いてしまう。そして、開け放した前面からは、眼下に京の景色が一望出来る。保津川の流れはもちろんのこと、京都タワー大文字山、双ヶ丘、東山三十六峰、比叡山までもが一望出来る大パノラマが広がっているのだ。そして、まるでビルのてっぺんにでもいるような、気持ちのいい風が吹き抜ける。京都中、ここほど素敵なシエスタの場所などないのではないか、と、思ってしまう。椅子に座って眺望を楽しむことも出来るし、床に寝そべってシエスタを楽しむことも、もちろん可能だ。来客に出会う確率は、平日で1組出会うかどうか。もし許されるのなら、フィッシュマンズの音楽を流しながら、シエスタを楽しんでみたい。それくらい、ゆる〜い空間だ。フィッシュマンズはライブ盤の『男達の別れ』がもっとも素敵なのだが、あれは男気が勝ちすぎていて、この場所では似合わないかもしれない。ここは、『宇宙日本世田谷』をチョイスしたい。この本堂の雰囲気には、フィッシュマンズのいたないバックビートがとても似合うから。


最後に、この寺の縁起を。
本尊は恵心僧都作の千手観世音菩薩だが、これは、角倉了以の持念仏である。この寺には、角倉了以が深くかかわっている。角倉了以とは、織豊時代の豪商だが、京都では、高瀬川大堰川の開削工事を行ったことで知られる人物である。当時、川は、物流の重要な経路であり、角倉が高瀬川を開削したことで、伏見の清酒を京の都まで船で大量に運ぶことが出来るようになった。こう書くと、阪急電車北摂ベッドタウン大阪都心を電車で結んで人の移動に貢献したのとおなじことのように思えるが、大きく違う点は、角倉は、川を通る船から通行料をとらなかった。川を開削することは私企業としての利益追求の一環ではあったが、同時に、純粋に社会貢献でもあったのだ。大堰川開削に際して、河川工事協力者から多くの犠牲が出た。難工事だったのだ。大悲閣千光寺は、角倉が、犠牲者の菩薩を弔うために、現在の清涼寺近くにあった千光寺の名跡をこの地に移して創建した禅宗寺院である。
なお、大悲閣という名は、一般的に、観世音菩薩を安置する仏堂のことを指す。大きな慈悲、という意味である。




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[主な仏像]

[主な伽藍]

  • 講堂

浄瑠璃寺

luis01172007-02-13


真言律宗小田原山 浄瑠璃寺



ここはもう、写真集かなにかで見て以来、行きたくて行きたくて仕方がなかったお寺さんですわ。
まず、名前が、美しい。浄瑠璃のお寺ですからね。
んで、写真で見たかぎり、本堂がかなりスタイリッシュ。余計なものが一切省かれているフォルムに惹かれまして…。
今回、念願叶って行ってきましたですよ。まあ、遠かったですけど…。


んで、着いたのが3時くらいやったんですが、じつはお昼ゴハンがまだでした。
今回は、久方ぶりに相方さんがお弁当をこしらえてくれたのですが、食べる適当な場所が見つからなくて。木津川に沿って車を走らせてきたものの、いい場所がなかったんですよ。
なので、浄瑠璃寺の駐車場で、食べたんですけどね(笑)
ちなみに、シートを持ってきてなくて、駐車場の管理人さんが、シートを貸してくれました。


さて、浄瑠璃寺


このお寺さんは、西方九体阿弥陀堂と東方三重塔の2つの伽藍で構成されてます。あいだに、浄土式庭園を挟んでますが、それだけです。


どちらも藤原時代建立の建造物で、宇治の平等院と同時期の、古い古い建物です。一度も焼失してませんから、正真正銘、藤原時代のものです。


で、西方九体阿弥陀堂
この、平べったくもスタイリッシュなフォルムを持つ西方九体阿弥陀堂は、文字通り、9体の阿弥陀如来さんを安置するためだけに建てられた建物です。そういう建物としては、現存する唯一のものですね。
中に入ると、ずらずらっと9体の阿弥陀如来さんが横並びで鎮座されている風景は、圧巻です。
両脇を持国天増長天不動明王三尊像の四天王メンバーが固め、9体の阿弥陀如来さんのあいだには、吉祥天女さん、大日如来さんがおわします。もっとも、吉祥天女さんと大日如来さんは秘仏で、この日は見れませんでした。


翻って、浄土庭園の池を挟んで東方に眼を向けると薬師如来さんを祀った東方三重塔があります。
これはね、なかなかありがたい配置ですよ。


少し解説を加えておきますと…、
薬師如来さんは過去世から送り出してくれる仏さんでして、過去の因縁や苦悩を超えて進むための薬を与えてくれる仏さんです。オレたちを送り出してくれるんですが、その仏さんが、太陽の昇る東に安置されています。
一方で西には、9体の阿弥陀如来さん。
阿弥陀如来さんは、阿弥陀如来さんは理想の未来にいて、そこへ向かって進むオレたちを受け入れ、向かえてくれる、来世の仏さん、未来仏なんです。その仏さんが、西方浄土(極楽浄土)のある方向である西に、ちゃーんと安置されている。
だから、
仏教では、東は過去(苦悩)、西は未来(理想)なんです。この2つの真ん中に位置する浄土式庭園の池は、ですから、東を此岸、西を彼岸としているわけです。東の薬師、西の如来、ってわけです。


薬師さんに遺送されて出発し、この現世へ出て正しい生きかたを教えてくれた釈迦の教えにしたがい、煩悩の川を越えて彼岸にある未来を目指して精進する。そうすれば、やがて阿弥陀さんに迎えられて西方浄土に至ることが出来る、と、こういうストーリーが、このお寺さん全体で表現されているわけです。


彼岸から此岸を目指すんですが、あいだにあるのは、浄土式庭園。


これはもちろん、極楽浄土を表したもので、宇治の平等院にある庭園と同じ意味合いを持ってます。


だから、なんで浄瑠璃寺なのよ、浄土寺でいいんじゃないの?って疑問があったんですが、住職さんにお聞きして納得しました。
このお寺さんのご本尊は、東方三重塔に安置している薬師如来さん。そして、薬師仏の世界では、浄土のことを浄瑠璃と表現するらしいのです。なので、こちらのお寺は浄瑠璃寺


んで、そうしたお話を伺い東方三重塔に行った折り、このなかに祀られてるご本尊の薬師如来さんが、ご開帳されてるんですよ。普段は、秘仏です。毎月8日、彼岸の中日、正月3ヶ日のみのご開帳らしいのですが、なんと、訪れた日は、掃除の日(笑) 運よくご開帳に居合わせたわけです。しかも、通常のご開帳では開かない、横の扉が開いてまして。いやいや、珍しいものを拝みましたですよ。


写真で見るかぎりでは、吉祥天女像がなかなかふくよかでよろしいのですが、こちらもまた秘仏。拝むこと叶いませんでした。
さらに、せっかくの浄土式庭園も、冬のあいだは、草花もなく…。
関西花の寺霊場にも数えられるほどのお寺さんなので、桜、アヤメ、カキツバタ、紫陽花、桔梗、萩、紅葉…と、季節が季節なら、色とりどりに咲き乱れてくれて、それこそ浄土の世界が展開されるんですけどね。


あ、でも、馬酔木が咲いてました!


また時季のいいときに、他の仏さんのご開帳も狙いつつ、リベンジします〜。


新版 古寺巡礼京都〈2〉浄瑠璃寺

新版 古寺巡礼京都〈2〉浄瑠璃寺

おすすめ☆

[主な仏像]

[伽藍]

  • 国宝 西方九体阿弥陀堂
  • 国宝 東方三重塔
  • 山門
  • 鐘楼
  • 潅頂堂

[特別名勝]

[主な草花]

  • 春 馬酔木、桜、菖蒲
  • 夏 杜若、紫陽花、桔梗、百日紅
  • 秋 萩、紅葉、当尾柿
  • 冬 千両・万両、水仙